渋谷の不動産投資法

個人投資家が、不動産投資で一定の勝ち逃げを確定させることの意義と、私の方法

今から16年も前のこと、
1999年(平成11年)、私は29歳でした。
当時、不動産会社に勤めるサラリーマンだった私は、仕事が終わってから、ファイナンシャルプランナーの資格の講習に通っていた時期があり、その講義に株式投資に関する分野があり、興味を持ちました。


当時、ネットバブル全盛の時代。株価は急上昇を続けており、しかも、インターネットの普及によって、それまでは証券会社の営業マンを通じて高い手数料を払わなければ個人は株の売買ができなかったのが、ネット証券に口座を開設すれば、安い手数料で好きな時に好きなだけ自由に売買できるようになる、というのです。私も乗り遅れまい! とネット証券に口座を開設、貯金300万円のほとんどを銀行からネット証券に移し、いわゆる「デイトレーダー」第1期生としてデビューを果たしました。

その後、2年ほどは会社勤めをしながら株の取引をしていました、取ったり、取られたりを繰り返していた感じでした。


2001年(平成13年)、31歳の時、会社を辞めて専業個人投資家になり、一時は元手資金が2000万円くらいまでに膨れ上がるも、結局は信用取引で大損して、2003年(平成15年)春頃には、残金ほとんどゼロになってしまいました。
何年もかけて貯めた自分の貯金300万円の他、親に借りた300万円、親に内緒で消費者金融数社からも300万円くらい借りていて、それらのほとんど全部を信用取引というレバレッジ投機で失ったのです。
親に隠し通すことはできず、泣きながら土下座して謝りました。親の前で消費者金融のカード全てにハサミを入れて破棄しました。借金は親が立て替えて完済してくれ、借りた分も当分は返済猶予でいいとしてくれました。ただし条件があり、正社員として就職すること、そして株には二度と手を出さないと約束することでした。ちょうど以前の会社の先輩が独立を果たし、宅建主任者を探していたこともあり、そこに就職しました。
しかし、株はどうしてもあきらめきれませんでした。大損の経験から、人がなぜ投資で結局は損の方向に行き着くのか、なんとなくその原因が分かったように思っていたからです。あとワンチャンス、せめてあと1回だけ打席でバットを振りたい、という欲求を抑えることはできませんでした。
私は心の中で親に謝りながら、破棄処分を免れたクレジットカード3枚のキャッシング枠の限界の150万円と、あちこちからかき集めた20万円くらい、そして給料はできるだけ節約して浮いたお金をすべて証券口座に投入することで、2003年6月あたりから取引を再開したのです。人間が大損するメカニズムを解明して、マーケットから失ったお金を取り戻したい、その一念からくる執念でした。


約200万円弱の資金(しかもうち150万はキャッシングという)で、おそるおそるの再スタートでした。会社の仕事も忙しく、なかなか思うように結果は出せませんでした。
そういえば、私は2003年の成績を公表したことがありませんでしたが、実は以下のようなものでした。
6月  +13万
7月  ▲72万
8月  +37万
9月  ▲4万
10月 ▲12万
11月 +64万
12月 ▲16万
試行錯誤を繰り返していた、そんな記憶です。
ところがそうしているうちに、翌2004年(平成16年)の1月に約115万円の利益を上げることができて(本HPの成績公開欄参照)、ようやくマーケットの正体を理解できた感じがして、さらに4月5月の大きな勝利でマーケットのメカニズム解明に自信がついた、というのが初期の頃の私の歩みです。

その後、会社を休職して、再び専業個人投資家として勝負することにした私は、2008年(平成20年)10月のリーマンショックまでは順調に成績を拡大させ続けました。当時の私は38歳。まだ守りや安定に興味はありませんでしたね。独身でしたし、最大の関心事は「株で勝つ」ということでした。「さらに大きな利益をこの手に、さらに前へ!」という、攻めることしか考えてなかった時期でした。

しかし、周囲には危ういと思われていたようです。
もともと、不動産会社勤めの経験が長いこともあり、よく周囲から助言されたことは、「株で永遠に勝ち続けるなんて不可能だ。しょせんギャンブルだよ、だからいつか必ず負ける。だから勝ったうちのいくらかで、投資用物件でも買っておきなよ、自分だったら絶対そうする」 と、このようなことは非常に多くの人から言われ続けました。
しかし、当時の自信満々の私は聞く耳を持ちませんでした。
「だからァ、そんな風に守りに入ったが最後、勝てなくなるんですよォ~。退路を絶ち、背水の陣で臨まないとダメなんですよォ」 と、そんな感じで答えていたように記憶しています。

結局は私も、リーマンショックで大敗して大きな損失を出しました。この敗戦により、先で述べたような攻めることしか考えていない自分を、ようやく見つめ直す気持ちになったのです。

翌年、2009年(平成21年)に入ってから、心境に変化が生じた私は、株式トレーディングと並行して投資用不動産物件も探すようになりました。しかし、買いたいと思えるような物件がなかなか見つからないのと、やはり不動産を購入すれば、株取引用の口座資金はその分減少するわけで、それも心のどこかではやっぱり嫌で、物件探しは全然進みませんでした。
それに、不動産投資の一般的手法である、高利回りを追求して、購入資金の大半を銀行からの融資でまかなう、というものにも抵抗がありました。それでは、入居者がつかなかったり滞納されたりしたら、逆ザヤで苦しむことになりかねないし、不動産を融資で買うなんて、株のレバレッジ投機を似たようなもの、という先入観も強かったのです。かといって、全額キャッシュで買えば、株口座資金は一気に減るし・・それも本音を言えば避けたいなァ、といったジレンマにもとらわれていました。

しかし、あるきっかけで、私は最初の投資用マンションを買うことになります。

当時私は、南青山に寝泊り用の部屋を借りていました。
ある日、ポストにチラシが入っていて、それは
「白金 新築 1DK 2500万円」 という内容でした。
チラシを見た私は、「え? なにこれ安っ! なんでこんな安いの?」 と驚いた記憶があります。
なぜ、私がそれを安いと思ったのかというと、
その場所、間取りならば、家賃毎月12万くらいは取れると思ったのです。そこから固定資産税や不動産会社への管理手数料、募集時の空室期間などの経費やリスクを考慮して差し引いても、毎月10万くらいの実質手取り家賃収入は見込めるだろう。そう試算すると、年間120万の家賃収入。10年で1200万円、20年で2400万円の家賃収入だから、実質、20年強の期間で、物件購入価格は回収できてしまう! マンションの寿命を50年と仮定しても、20年で購入資金が回収できてしまい、残り30年は家賃収入を生み続けてくれる、まさに「金の卵を産み続けてくれるニワトリ」みたくなるではないか! 物件の場所も白金なら、入居者の募集にも苦戦はなく、退去しても次はすぐ決まるはず。
と、そんな感じに考えたからなのです。
私はさっそく不動産会社に連絡して、まずは話を聞いてみることにしました。
担当者の説明によれば、物件は3月に竣工しているのだが、すでに何ヶ月もたっているのに、投資用の1DKの部屋だけ売れ残ってしまい、どうしても買い手が見つからなくて困っているそうです。買い手が見つからない最大の理由は、銀行が投資用のワンルーム系の物件に対して、ぜんぜん融資をしてくれないから、ということでした。
当時、リーマンショックの余波は、いまだ世間を覆っており、銀行はこうしたワンルーム系投資用物件に対して非常に厳しい視線で臨んでおり、ほとんど融資をしてくれない状態だったのです。
私の場合、職業柄ローンを組むことはほとんど不可能、買うならキャッシュにならざるを得ません。
担当者は、まさに私のことを救世主登場(笑)といわんばかりに、購入をすすめてきました。私も、株口座資金から2500万円が減少することに対して、やはり抵抗感は感じつつも、結局は、とにかくこの物件は安い!という評価が勝り、ついに初の投資用不動産購入を決めたのです。
すると担当者は、「実は・・・ 同じ間取りの1DKが、もうひとつ売れ残っているんです、ちょっと値引きしますんで、なんとか買ってもらえないでしょうか?」と言います。 初の投資用物件購入でテンションが高くなっていた私は、ついOKしてしまいました。 2つめは2350万円、こうして、白金に投資用1DKを2つ、キャッシュにて計4850万円で購入し、毎月20万円強の安定家賃収入を得ることになったのです。

しかし、株口座資金は一気に5000万円近くの減少・・・
最初はちょっと寂しい気持ちではありました。
しかし、だんだん時間が経ってくると、毎月20万円強の家賃収入が安定して勝手に入ってくることが、自分の気持ちに安心感を持たせてくれることが分かってきたのです。
特に、株トレードが不調で損失が続く時、物件と家賃収入の存在は、大きなセーフティーネットとして、精神的な安定を自分の心理に与えてくれることを実感しました。
「やっぱり、買ってよかった。チラシが入っていたことは、結果的にはラッキーだったな」と思うようになったのです。

この物件投資に関して、不動産投資の経験豊富な友人たちからは、5000万円という資金の活用方法として、もったいなさすぎる、やり方を工夫すれば、銀行からの融資を引き出して、もっと多くの手取り収入を得ることもできるのに、本当にもったいない!と、よく言われました。
たしかにそうでしょう。
しかし、私たちの本業は不動産投資家ではありません。
「株で食う(笑)」という、おそらく、あらゆる職業の中で、究極最大のハイリスクをすでに背負っているのです。崖から落ちていつ死ぬか分からない冒険の人生に、すでに自分の身をさらしているのです。だから私たちの不動産投資とは、株で大損した時に、命綱となってくれるような堅実なものであってしかるべきと思うのです。私たちは、信用取引に手を出している時点で、銀行融資とは比べものにならないハイリスクな高金利融資を受けているも同然なのですから。
(ちなみに余談ですが、日経225先物取引に手を出すというのは、あまりにレバレッジが高すぎて、闇金に手を出しているのも同然だと思っています、借りた時点で破産はすでに約束されているみたいな 笑)
そういう意味で捉えて、私たちのような不安定極まりない個人投資家は、私のこのケースのように、20年後にタダ同然で一等地に投資用物件が手に入るというような人生の命綱としての意味合いで、不動産投資に臨むべきだと思うのです。

さて、話は変わりますが、皆さま、青山パークタワーという物件をご存知でしょうか?
あるきっかけで、日当たりのいいそこの高階層部屋1LDKが家賃31万で募集に出ていたのを知り、私は思い切ってそちらに移ることにしました。
家賃31万って高すぎると感じるのですが、白金の投資物件から毎月22万の家賃収入があったので、差し引き9万であそこに住めると考えればまあいいか!なんて思って自分を納得させたものです。

そして私は、その青山パークタワーの賃貸借契約の場で、
「不動産投資の究極の姿とは、まさにこれなのではないか?!」という場面に遭遇します。