メンバー紹介

渋谷 高雄(しぶや たかお)

1999年(平成11年)ネット証券口座初開設
2017年(平成29年)現在個人投資家歴18年目

当時勤務していた超長時間労働で賃金の安いブラック企業に絶望し、活路を求めて1999年10月の株式売買手数料自由化前後から株式投資を始める。
そして1年半後、人生を賭けてそのブラック企業を退職し、個人トレーダーとしての修行を開始。
その後2年ほど試行錯誤の日々を送るも、信用取引で大損してしまい退場寸前にまで追い込まれる。
幸運にも知人が不動産会社を起業するにあたり声をかけられ、再就職(しかしそこも当時はブラックだった 笑)。
サラリーマントレーダーとして一からやり直した結果、株式市場の本当の正体を理解することが出来て、株式投資のノウハウを確立し、専業個人投資家として復活することが出来た。
苦しい時に拾ってもらった恩から、ふたたびの退職の際にその不動産会社には恩返しの意味で5000万円を出資する。
現在では株式投資での勝ち逃げを確定させるため、不動産投資と投資関連書籍販売も同時に手がける。
相場の怖さを知り尽くしているが故に、年齢を重ね、結婚して家庭も持った現在、徐々に勝負一本の世界から遠ざかりつつある。


小川 立平(おがわ りっぺい)ペンネーム

1999年(平成11年)ネット証券口座初開設
2017年(平成29年)現在個人投資家歴18年目、正社員としてホワイト企業に勤務する兼業個人投資家

メンバーの中で唯一の現役サラリーマン。渋谷とはHISトレードスクールのT先生の株セミナーで知り合った。
(なお、渋谷も小川も、このT先生の教えがなければ成功は不可能だったと今では回想している)
帰宅後夜に研究→早朝アメリカの結果を確認して出勤前に注文入力→帰宅後に結果を見る、という一般的方法でトレードを行っている。
小川も渋谷とほぼ同時期に株を始め、渋谷とほぼ同時期に大きな失敗により元手資金がわずか150万円にまで減少してしまい、再就職せざるを得ない状況になった。
しかしそれでも彼はあきらめず、再就職後も地道な努力を続け、1年後見事に元手資金を回復させた。
同時に会社という社会の中での居場所があることに安心感を覚えるようになった自分がいたという。
その後現在に至るまでサラリーマンのかたわら、株で副収入を稼ぐリーマントレーダーを続けており、それが小川の性格には合っているそうだ。
彼こそは、自宅の住宅ローンを株の利益で完済し、月々の小遣いは自力で株で稼ぐという主婦羨望の究極の夫の理想像である。


御坊(おぼう)ペンネーム

2007年(平成19年)ネット証券口座初開設
2017年(平成29年)現在個人投資家歴10年目

渋谷の中学時代の元同級生。株式投資大百科第6章の執筆担当者。
ストイックな性格を渋谷に見込まれ、招聘されて2007年より約5年間にわたり渋谷の隣席でトレーディングの補佐業務を行った。
大百科第6章は、彼の蓄積された補佐業務の集大成と言える。現在は自宅にてデイトレーダーを続けており、不定期にて渋谷の補佐業務に赴いている。


中澤 良太(なかざわ りょうた)ペンネーム

1999年(平成11年)ネット証券口座初開設
2014年(平成26年)実業家(海外某国での飲食店経営)へ転向
2016年(平成28年)やはり株が忘れられずに取引再開

渋谷、小川とは上記株セミナーの忘年会で知り合った。ネットバブル時代に、知人に頼まれて証券会社の店頭に並んだことがきっかけで株を知る。
1999年10月の株式売買手数料自由化を機に軽い気持ちで会社を辞めてしまい、ほどなく現実の厳しさを知ることになった。
当時、他のメンバーと違って彼には妻子がいたので、背水の陣を引いて死に物狂いで研究した結果、渋谷や小川がいったん再就職せざるを得なかったのとは違って、2014年に至るまで、株投資のみで生計をたて家族を養ってきたという信じられない特異な実績を持つ。
株式投資で得た利益を元に、2014年以降は海外某国にて飲食店経営の実業家に転向するも、結局は、トレーディングで勝負している時の高揚した気持ちが忘れられず、2年後には取引を再開して、現在では2足のわらじを履いている。

なお、渋谷も小川も後年になってから結婚したが、渋谷は不動産家賃収入、小川はホワイト企業の正社員としての給料、もしもふたりにこうした安定収入がなく、「株のみで食う」という生計形態であったなら、ふたりとも結婚は難しかったというのが世間一般大多数の女性の本音であろう。
少なくとも、正社員生涯賃金の一般的平均である2億円の倍である4億円程度の投資実績は上げなければ、専業デイトレーダーもしょせんは自称パチプロと同じ扱いに過ぎないというのが、世間や女性たちの本音の厳しい見方なのである(笑)
仮にあなたが、元手1000万円で株のトレーディングで5年間かけて2億円の投資実績を上げたとしても、手元に残るのは税金2割と5年間の生活費を差し引けば、1億5000万円もあればいいほうであろう。
結婚して家庭に責任が生じるのであれば、1億5000万円全額で株トレーディングを続けるのは、女性の立場からすれば当然ダメなのである(笑)
例えば5000万円でトレーディングを続け、1億円は家族のために確保したとしよう。
残りの人生50年生きるとして、いま1億円の現金が手元にあっても、毎月16万5000円程度しか使うことができない。
そして、5000万円の投資用資金のほうは、仮に日経225先物取引に手を出して、2015年夏や2016年新年のような暴落相場に巻き込まれ対処できずに全部スッてしまったら、残りの人生50年、毎月16万5000円の年金のような収入しか残らないに過ぎない。
当然のことだが、奥さんに「1億円のうち、2000万円ほど投資用資金に一時的に回してくれ、必ず増やして戻すから」などと言ってはならない。
それすらも、日経225先物取引でスッテンテンになったら家族はどうなるのか(笑) 
大損して我を見失った旦那は、さらに残りの8000万円にも手をつけようとするだろう、そして必ずスッテンテンになることだろう。
もはや単なるギャンブル中毒患者に過ぎず、家族のために専業個人投資家はあきらめて、2003年の頃の渋谷や小川のようにサラリーマンに戻るしかない
(もっとも、年齢30代後半も過ぎてしまったら、休むな帰るな給料安いの三重苦揃ったブラック企業くらいしか再就職先がないのが現実であるが)。
このように、専業個人投資家の2億円の投資実績は一見すごいと思えるかもしれないが、実態は砂上の楼閣のように脆いものに過ぎない。
このHPにたどり着いた皆さまに声を大にして言っておきたい。
簡単に仕事を辞めてはならないし、専業個人投資家になってしまったのなら、安定収入の確保にも目を向けなければならない、ということを。
ちなみに渋谷は、このように日経225先物取引には(なお、1日信用取引空売りも)、余程の巨額資金投資家でもない限り、手を出すべきではないという否定的な考えである。
それは株式投資大百科でも述べているところだが、主な理由は、信用取引でもスッテンテンになることはあまりないが、日経225先物取引だと簡単にスッテンテンになってしまい、投資家人生としての命脈をいともたやすく絶たれてしまうからに他ならない。